1b37472f5f36aa03af5f94eecb5de1,Amazon.co.jp: (6)中原中也 (日本語を味わう名詩入門) : 萩原 昌,王原祁、王翬等清諸家國朝名賢書畫冊| Various Artists (Qing,王原祁、王翬等清諸家國朝名賢書畫冊| Various Artists (Qing,每日中文(@Daily_Zhongwen) / X 閉じる
《New Herbs Part One(若菜・上)》 Back at Rokujo towards the end of the year, Akikonomu arranged the final jubilee observances, readings at the seven great Nara temples and forty temples in and near the capital. To the former she sent forty bolts of cotton and to the latter four hundred double bolts of silk. She was much in Genji's debt, and never again would she have such an opportunity to show her gratitude. She wanted everything to be as her late mother and father would have had it; but since Genji's wish to avoid display had frustrated even the emperor's hopes, she limited herself to a small part of what she would have wished to do.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。孛和袖珍字書(はいわしゅうちんじしょ) 小田条次郎 桜井勇作。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。註解名蹟碑帖大成 上巻。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。三重軒主人/鈴木敏雄編著「生川正香関連書3冊一括」伊勢素封家駒田家/駒田義三郎旧蔵書 三重県津市郷土史料。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。居酒屋の娘 西村天囚。現在の今上天皇と系譜がつながっている。永正主照黙『真宗宝璽伝』承応3年後跋 光徳坊日新舎所蔵 江戸時代和本 木活字本 浄土真宗 仏教書 仏書。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。『袖珍百人一首 全』天保15年 柏原屋義兵衛刊 江戸時代和本 小倉百人一首。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。頓陳漢斑馬述 香夢亭主人編 尾形月耕画『月雪花恋路の踏分』(全3冊揃)明治16-17年 春陽堂/和田篤太郎 明治時代和本(和装活字本)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。政教小説 蒙里西物語 カロー著 大石高徳編訳。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。姿なき飛行機 安田尚史。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。写本『忠臣規矩準縄録』(全二十四巻・三冊揃)江戸時代和本(写本)忠臣規矩順従録 忠臣蔵資料。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。東海仏教 1~56号(平23) 欠有り 44冊。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。武者小路実篤自画賛幅 「木蓮」 武者小路実篤。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。徳力富吉郎オリジナル木版画全6枚揃『創作版画 秋の京都』昭和17年 内田美術書肆刊 彩色木版画。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。中川一政画集 1976 限定45部 中川一政。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。俳書/写本/「春の日・炭俵・荒野集・猿蓑集・続猿蓑集」/江戸後期頃筆写?/筆写人不明/5冊。また、各巻ごとの書かれた年については不明。測量精密 尾張国参河国新図 訂正版 小田切春江編輯。従って、応永五年とは、書き始めの年である。幕府領(会津藩預所)佐倉村古文書●寛政2年(1790) 公事方留書 全 100+3件 42丁 大沼郡佐倉村 現在の福島県昭和村 231113。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。高野栄明編『荘内漫遊案内』大正8年 日向書店刊(山形県鶴岡町)山形県鶴岡市郷土史料 大正時代の庄内地方案内書(商店広告多数入)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。『靖献遺言 8巻3冊揃』/風月荘左衛門/Y10843/fs*24_2/41-04-1A。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。石田元季短冊 あたたかく 石田元季。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。写本 御直命演説 慶應2年 真宗大谷派 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古本古文書 NR。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。「和讃略註」/慧空?/正徳2年/丁子屋九郎右衛門・雁金屋勝兵衛発行。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。「直徃 孝感冥祥録」上下/伝阿欽誌/享保19年/澤田吉左衛門発行。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。c▼▼ 江戸期 和本 増補校正 梅花心易掌小指南 合本全5巻 3冊揃い 安政2年 古書 古文書 占い / L3。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。名取草雙蝶々 上★嘉永4年1851年★松林堂梓(520)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。染色実例集 染色工程標本 赤澤鉞太郎。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。岩雲花香著 市岡和雄跋『花鏡歌集』嘉永4年序 慶雲堂刊(尾張)江戸時代和本 阿波国生の国学者の歌集 徳島県郷土史料。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。写本 御政法秘録 完。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。六百回御遠忌 親鸞聖人十徳伝 全2冊 謙中述。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。小宮山綏介編『江戸舊事考』(全7巻7冊揃)明治24-25年 江戸会事務所/青山堂 明治時代和本(和装活字本)徳川時代-徳川幕府総論 江戸旧事考。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。帆足万里『井楼纂聞』(全四巻四冊揃)天保12年序 柳河立花家に伝わる藩租・戸次道雪の事績「梅岳公遺事」漢文訳 江戸時代和本。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。佐藤春夫詩幅 冬の湖 佐藤春夫。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。丹青一班 全5巻 古書。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。木村茂銅版画集 花のメルヘン1 木村茂銅版画・秋原秀夫詩。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。八島五岳『百家琦行伝』(全5冊揃)弘化3年 銭屋惣四郎他刊 江戸時代和本 絵入本 変人奇人伝 三井親和、森島中良ら。二月に女三宮が六条院に降嫁した。夢二画集 夏の巻 竹久夢二。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。24-2-20『 縮図再鐫 仏法双六 (図再鐫佛法雙六)』明治24年再版。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。城外 (芥川賞) 小田嶽夫。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。長谷川伸旧蔵書 鹿児島県編緝『丁丑乱概』(全2冊揃)明治12年 鹿児島県蔵版 西郷隆盛 西南戦争 明治時代和本。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。フクチャンブック 第四輯 野球の巻 (児童書 絵本 漫画本) 横山隆一画。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。1883年 古文眞寶校本 : 訂正標記/ [黄堅編] ; 平山政涜訂正標記 前集・上中下 後集・上下 揃? 古文真宝校本 宋 黄堅 ②E 古書。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。大槻文彦著 伊達宗基題辞『佐藤素拙伝』明治45年 佐藤喜六刊 明治時代和本(和装活字本)伊達家に仕えた陸奥仙台藩士 宮城県郷土史料。
自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。啓蒙手習の文 上・下巻 福沢諭吉編 古文書。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。w076 明治新選 番匠秘事雛形 上下 全2冊揃 村井 静馬 明治20年■和本 古文書 建築 大工 図案 虹梁 欄間 懸魚 蟇股。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。「挫日蓮」/寛延4年序文/発行所不明。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。詩聖 創刊号 西條八十他。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。おあん物語 おきく物語 山田去暦女。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。水茎磐樟編 富岡鉄斎題字『山陵一覧表』明治9年 村上勘兵衛刊 神職/有職故実家が編んだ天皇陵一覧書 明治時代和本(銅版本)平安神宮。
自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。花月集 (俳書) 豊屋(石田)素陽編。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【希少】資料第8集 安東産業経済概観 安東商工公会 康徳9年(昭和17年)発行 満州/安東省/歴史/資料【ac03k】。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。婚礼推?記(こんれいすいとうき)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。k◇6 江戸期 叢桂亭医事小言 叢桂亭蔵方供全7巻 8冊揃 原南陽口授 水戸須原屋ほか 嘉永7年再刻 和本 医書 漢方 /A02。
《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。國民生活と宗教 明治発行。》
《たひたひになりぬれは、口》・・・・おしくおほ(思)しとまりぬ。岡田正訳『地球儀使用詳解 全』明治9年 岡田正蔵版 明治時代和本 彩色木版画「地球儀之図」「地球全図」「地平線之図」入。
[9-5 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷]
師走の二十日余りのほとに、中宮まかてさせたまひて、
今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、
この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。清水卯三郎訳述『西洋烟火之法』明治14年 瑞穂屋蔵版 ヨーロッパ花火論 花火技術書。
ありかたき御はくくみを思し知りなから、 何ことにつけてか、
深き御心さしをもあらはし御覧せさせたまはむとて、
父宮、母御息所のおはせまし御ための心さしをも取り添へ思すに、
かくあなかちに、おほやけ(朝廷)にもき(聞)こえかへ(返)させ
給(たま)へは、ことゝもおほ(多)くとゝめさせ給(たまひ)・・・《つ。明治改正 名古屋新図 (内題は名古屋明細全図) B 佐藤政治郎著刊。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。鑑定備考 日本陶器全書/支那陶器全書。
《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《秋好中宮が源氏の君の四十の賀の豪華絢爛な祝宴を開催》
《「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の元になる個所》
《帝(冷泉天皇)は、今年のこの源氏の君の四十の御賀に事寄せては、
行幸などもなさりたいとご計画あそばしたのであったが、殿(源氏の君)は、
(源氏の君)「世間の迷惑になるようなことは、けっしてなさいませんように」
と、たびたびご辞退申されたので、》・・・・帝(冷泉天皇)は四十の御賀への行幸は
残念ながらお思いとどまりになった。☆E0326和本江戸寛政7年(1795)跋書道「筆意断」全上中下合1冊揃い/米沢/源周義/古書古文書/木版摺り。》
〔二十二・秋好中宮、源氏の君の饗宴を開催する〕
十二月の二十日過ぎのころ、中宮(秋好中宮)が宮中よりご退出あそばして、
今年の残りの御祈願として、奈良の都の七大寺にお布施として布四千反、
この近くの京都の四十の寺に、絹四百疋を分けてご奉納になられる。公武懐中鑑 江戸後期刊。
またとないご養育のご恩を十分お分りになっていらっしゃりながら、
今まで格別のこもせずに過してこられたので、この機会をはずしてはなんの折に
深い感謝のお気持をはっきりごらんいただけようか、とお思いになって、
父宮(前の皇太子)と母御息所(六条の御息所)がもしご存命であったなら
こうもしてさしあげたであろう報恩の気持までをもお添えになって、
盛大にとお考えであるが、院の殿(源氏の君)が帝(冷泉天皇)に対してさえもこうして
強くご辞退申しあげなさったのであるから、あれこれのご計画を
大部分おとりやめになったのである。J24021700〇貴重書 広瀬臺山 自筆写本 字学津梁 寛政10年戊午(1798年) 48歳 最終丁に自ら書写由来を記載 江戸時代中期後期の文人画家。殿(源氏の君)からも、・・・・
《(源氏の君)「四十の賀ということは、先例を耳にしましても、そのあと残りの齢を
いつまでも保つ例はそう多くなかったのですから、》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。育英新編 上下/続 育英新編 甲乙 4冊一括。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。柳原白蓮短冊 もゝとせ… 柳原白蓮。
《New Herbs Part One(若菜・上)》
Back at Rokujo towards the end of the year,
Akikonomu arranged the final jubilee observances,
readings at the seven great Nara temples and forty temples in and near the capital.
To the former she sent forty bolts of cotton and to the latter
four hundred double bolts of silk.
She was much in Genji's debt, and never again would
she have such an opportunity to show her gratitude.
She wanted everything to be as her late mother and father would have had it;
but since Genji's wish to avoid display had frustrated even the emperor's hopes,
she limited herself to a small part of what she would have wished to do.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・上》
冷泉帝只得然作。評論集 狩と獲物 三島由紀夫。
十二月二十后,秋好皇后六条院。中道を歩む心 鶴見祐輔 大日本雄弁講談社 昭和2年 古書 ヴィンテージ アンティーク。
要在年父源氏祝寿,特奈良七大寺僧,
布施布匹四千段;又京都附近四十寺僧,布施四百匹。J24021706〇経済小学 上下2冊揃 神田孝平 慶応3年〇和本古書古文書。
秋好皇后感源氏育之恩,欲乘此机会向他表示真的孝心。鈴木券太郎旧蔵書 英保良哲『救民天徳地福伝』(全二巻二冊揃)宝永元-3年刊 江戸時代和本 東洋医学 漢方 医書 本草学。
又念父前皇太子及母六条妃子如果在世,一定也感他,
所以又着代父母祝寿之意。瞽使者 全2冊 ジュール・ヴェルヌ/羊角山人訳 森田文蔵。但源氏朝廷的祝寿也曾固辞,
故秋好皇后不便,只得将多原定去。西国三十三所巡礼道のり (仮題) 江州表具屋版。
源氏道:“我考前代事例,
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。橋爪五兵衛編『伊勢名所古図』明治27年 西井斎蔵他刊(三重県伊勢度会郡)彩色木版画全10枚揃・元袋付 伊勢神宮などを描く。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。山縣千樹編『華北に於ける現存諸部落(自然村)の発生』民国30年 国立北京大学農村経済研究所刊(中国・北京特別市)中国華北の農村研究。冬姫は内大臣・通誠の養女。武者小路実篤自画賛幅 「寿 万年青」 武者小路実篤。
冬姫は通称。ピーターバラ 中世動物譜 全3冊 C・D・ハメル/L・サンドラー解説。正式な名は伊達貞子。船水清著 米澤小蘭・福士夕湖書『句集 海原鈔・山並鈔』(全2冊揃)限定100部 昭和57年 緑の笛豆本の会刊(青森県)。2つとも貞子の印。『囃謡・外囃諷』(全2冊揃)宝暦10/12年 鳥飼市兵衛他刊 江戸時代和本 能楽 謡本 お能。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。楓井純(古斎楓井)『古斎詩抄』昭和2年刊 土井ごう牙の次男の漢詩集 三重県津市郷土史料 龍津寺 土井古斎 楓井古斎。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。No.672 昭和11年 1936年 新選 国漢参考図録 帝国書院。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。長谷川伸旧蔵書 加藤泰邦編 猪熊文子他文 猪熊弦一郎装丁及挿絵『こひつじ』昭和9年刊 加藤泰昭追悼文集。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。中野菊乃『能面使用別一覧』昭和40年 私家版 能楽 お能資料。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。俳書/写本/芭蕉150回忌追善句集/花供養?/於円山安養寺端之寮/序:春藤鳳兮鵞、孤山他/跋:片家史也/天保14年3月12日/2冊。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。f23100824〇今世名家文髄 初・二集 4冊揃 南保重英編 星野松藏出版 耕文書屋藏 明治12年〇和本古書古文書。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―66B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。滝原章助画稿 『とおりゃんせ』 滝原章助。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵
猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。大経 四十八願和訓図会 全5冊揃 文久元年 京都九書房合梓 釈諦浄述。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。藤原清輔『清輔袋草紙』(全4冊揃)貞享2年 中川弥兵衛他板 平安時代・保元年間の六条家流歌人の和歌論 歌学書 江戸時代和本 平安文学。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。安曇野の四季 木村茂銅版画集 木村茂画。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。微行者イエス 赤岩栄 昭12 日本基督教団 日本共産党 椎名麟三 キリスト教 新約聖書 神学宗教学カトリック プロテスタント 戦前明治大正NV。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。煎茶早指南 嵐翠子著 永楽屋板 江戸後期頃写刊 茶道 和本 古文書。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。趣■ 装劍奇賞 全7冊揃 全巻セット 松山堂 稲葉新右衛門 天明元年元版 裝劔竒賞 和綴本 刀剣 日本刀。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。BB-8874■送料込■初版本複刻 竹久夢ニ全集 夢二画集 春の巻 三味線草 絵入歌集 他 ほるぷ出版社 複刻 本 印刷物 13冊まとめて/くOKら。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。HH-8980 ■送料込■ 日本女礼式大全 上下巻 明治30年 水野年方 富岡永洗 木版画 浮世絵 料理 香道 和書 本 古書 古文書 印刷物 /くJYら。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。河井醉茗新詩集 紫羅欄花 河井醉茗。撮影後、展示のために再表装をしております。水原秋桜子幅 筑波山縁起 水原秋桜子。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。御家中以呂波分 (尾張藩分限帳) 全2冊。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。大日本切図 中国四国之部 小林監峻編。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。筆法初傳。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。下村実栗絵短冊 12枚一括で 下村実栗。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。奸雄の末路 リットン著 吉田熹六訳。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。伊勢国大絵図(内題細見伊勢国絵図) B 吉野屋仁兵衛他板。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。四十八願得聞鈔 全四巻。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。古書 『 風俗画報 明治文献復刻版 第14分冊 (314号~331号) 18冊揃 訂正挿絵7枚付き』朝倉治彦校訂 ケース入り 1975年 明治文献発行。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。忠孝歌舞伎十八番 全21枚 三世長谷川貞信画。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。J836●詩集 書法集 書道 集帖 散頁 書道集錦 書 書画 古美術 和本 古文書 現状品 長さ:約46cm。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。趣味 第一巻第一号(創刊号) 坪内逍遙他。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【古書】縄文のデザイン 縄文土器影象 武居 幸重 土器。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。富田永世輯録『上野名跡誌』限定200部 明治18年序(非売私家版)明治時代和本 和装活字本「活版上野名跡誌限二百部」上野國史料 上野国。母は後水尾天皇皇女女二宮。半田山人作 北尾重政画『教外別伝笑戯自知録 諸葛孔明秘伝』(全五巻揃)文化14年序 玉厳堂 江戸時代和本。実母は近衛家女房(瑤林院)。古文書 板谷波山 書簡 湯山保寿 宛 茨城県 出身 陶芸家 歴史資料 (レターパックライト発送)。幼名は多治丸。意之内鏡 壹 江戸時代 安政 歌舞伎浄瑠璃 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。岩下羆撰『冕服図帖』(全3冊揃)明治40年芸艸堂刊 彩色木版画譜 天皇・皇族礼服集 神道史料 天子御礼服 天皇礼冠 公家 染織図案集。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。葉栄鐘編『林獻堂先生紀年集』(全3冊揃)民国49年 林獻堂先生紀年集編纂委員会刊(台湾台中市)線装本。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。v△△発行年不明 俳諧季寄 是々草(これこれ草) 上下巻 2冊揃い 芭蕉翁所藏蛙嚢圖 山田茂助蔵 加藤正得 加藤正修 無刊記 和本 古書/R06。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。たびまくら6冊 たらちねとまご子 艸山孝心集 王陽明百首 姉崎正治。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。『未刊浮世絵美人名画撰 古法純手摺木版画』(手摺浮世絵木版画全24枚揃)昭和42年頃 アダチ木版研究所刊 大判錦絵 美人画 遊女 花魁。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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